いじめの舞台はSNSへ?【自殺死体の叫び】
今週のお題「遠くへ行きたい」
遠すぎて誰の声も届かない。けど、遠すぎて二度と帰ってこれない場所「死」。
ふと、お題に対してこんな連想をしてしまう私も私だ。かれこれ心の深淵を見つめ過ぎたせいかもしれない。
昨日、女子プロレスラー木村花さんが亡くなったというニュースが流れた。死因は明らかにされていないが、直近の本人のSNSに自殺を匂わせる投稿があったらしい。
だが結果として、彼女は遠くへ行ってしまったのだ。
何も真実が分かってはいないので、そもそもSNSの誹謗中傷が原因の自殺かどうかも分からないが、「自殺」というワードに、ふと私はかつて読んだ本「自殺死体の叫び」(以下、本著)を思い出した。
1.誰よりも「死」を見てきた者
上野正彦(以下、著者)は監察医という、死体の状態を検視して、自殺か他殺、あるいはどのような手段・状況で死んだのかをハッキリとさせる医者である。
通常、生者に対して治療を施す医者と違い、監察医は死者が自身の死体を通じて伝えたいメッセージを読み解くある種の通訳である。なので、そのメッセージからは悲痛な現世への想いや、必死に抵抗したにも関わらず殺されてしまったなどの真実が浮かぶとのことだ。
ところで、現在コロナによる倒産や失業者は増加している。そして、過去のデータより、失業者が増える時は、自殺者も増える。そう、失業の可能性を考えれば、自殺とは他人事ではなく自分事になり得るわけだ。
もし、「自分が自殺すると、どんな姿になるのか?」それを監察医として30年間関わった者の目線で述べられている。
都会の喧騒を離れて、人目に触れずに雄大な大自然の中で最期を迎える樹海での自殺は、ロマンチックな死に方だと広く思われがちである。しかし、その実態は、美しいイメージとはあまりにもかけ離れたもので、大自然の営みである食物連鎖の中で動物や昆虫に食い荒らされて野ざらしにされたままに朽ち果てていく、むごたらしい死に方以外のなにものでもなかった。
ここを死に場所に選んだ人たちは、果たしてこの実態を理解していたのであろうか……。
(本著 第1章 「野ざらしの死体」より)
誰も巻き込まずに、きれいな姿で死ぬということがどれだけ無茶なことかを述べた一説だ。自身が死んでしまえば、他人からどう見られているかなんて知ることもないが、少なくと惨たらしいインパクトを脳裏に焼き付けるものということは知っておくべき。
他にも、なぜ偽装殺人がバレるのか、犯人像が特定されるのかも書いてあり、まるで名探偵コナンの世界を覗くことができる。
2.希薄な人間関係が人を追い詰める。
本著の後半部では、自殺がなぜ起きるのかを監察医の視点で説いている。ただし、自殺を思いとどめる力はないと個人的に思ったので、その点は期待し過ぎないこと。
自殺とは環境が作り出すものではないかと私は考えている。誰もが自分のことしか考えられなくなった時、誹謗中傷やいじめが起きるだろう。本著でも、近いことが述べられている。
長引く不況の中で主が家庭をかえりみる余裕がないからなのか、あるいは共稼ぎの家庭が増えて子どもにかまっていられないのが理由なのか、家族のきずなの希薄さを感じることが少なくない。この種の事件に触れると、豊かな日本で、心だけはどんどん貧しさを増し、これが深刻な問題になりつつあると痛感する。
(本著 第4章 「家族の信頼が崩れたとき」より)
引用部分は、とある家庭の妻とその子どもたちが無理心中を引き起こした事件を受けての筆者のコメントだ。事件の背景には、夫からの家庭内のコミュニケーションが減り、関係性が弱くなってしまい、信頼関係がなくなってしまったことにあったとのこと。
本著の初版は15年前だが、引用部後半の心だけはどんどん貧しさを増す状況は、SNSで平気で人を叩ける今でも変わらないように思える。
※繰り返すが、木村花さんが亡くなった件が、SNSの誹謗中傷の問題とどこまで関係しているかはハッキリと分からない。ただ、SNSの使い方と向き合い方は改めて考える必要はある。
自分の意見を主張するのは勝手だが、SNSという希薄な関係性だからといって、サンドバッグのように相手を叩くべきではない。個人を無闇に叩いていい雰囲気を出してしまえば、その様子を見た赤の他人も加担し始め、集団リンチになる。そして、都合が悪ければアカウントを消すという陰湿さだ。なのに、心理学の観点からすると、叩く人はある種の正義感に駆られた人でもあると言う。
他人を叩くことでしか、確認することができない正義は正義ではない。
大人こそ、こんな子どもじみたやり方を見つめ直して、精神的に「自立」して欲しい。
そして、もしあなたが同じくSNSで傷ついている方であれば、どうか引き続き私に耳を貸して欲しい。
(画像 プレジデント 2020.5.29号 P26より)
前提として、インターネットを利用している人は人口の0.7%しかおらず、その中で誹謗中傷をする人は数%、そしてその数%から粘着するのが数人程度。実は、嫌というほど誹謗中傷しているのは、ちょっと群れてる暴走族ぐらいの数しかいないのだ。
誹謗中傷を言われた側は、言われたショックで冷静な判断が難しくなり、視野も同時に狭くなってしまう。そんな科学的事実も把握しておけば、暴走族レベルの人間如きにあなたの精神と生命を奪られる心配は限りなくなくなる。
知識はあなたを守ってくれる。
もっと健康になる調理方法【その調理、9割の栄養捨ててます!】
お題「#おうち時間」
おうち時間が長くなり、様々な料理に挑戦する人が増えたのではないだろうか?
私も筋トレを始めてから、食のバランスや栄養を気にするようになり、ブロッコリーを初めて買って調理しようとした。
ただ、上手な調理方法が分からず、色々と調べる内に本著に出会った。おかげで、今まで料理で当たり前に思ってやっていたことが覆されるばかりである。例えば、ブロッコリーは茎にも栄養が満点だし、人参は皮ごと輪切りにした方がもっと栄養が取れるというのだ。
私は正直言って、野菜をそんなに食べない人間だ。ただ、取らないと身体に不調が出るので、やむなく食べている。そこで、僅かな量で少しでも多く栄養が取れるのなら、それはすごくいいことだ。こうして、半ば栄養士みたいに知識が増えていくのである。
本著で紹介されるポイントは大きく4つ
- 切り方
- 焼くのか蒸すのか茹でるのか
- 保存方法
- 捨てちゃいけない部位
に分かれて紹介されており、今までの調理方法で如何に勿体ない食べ方をしてきたのかがよく分かる。
「同じ火を通すことなのに、茹でると焼くでこんなにも違うのか」って思うことも多々あり。
以下はもはや、メモの書き置きだが、個人的によく食べるものと今後食べたいものを中心に、今後取るべき調理方法をアウトプットしよう。
- レタスは2〜3分蒸して量を食べやすくする
- ネギとトマトは常温保存
- タコは揚げ物にすると疲労回復効果あり
- アボガドは生で
- 青魚は刺身で
- 豚肉とネギを一緒に焼いて食べる
ここまで料理研究に熱が入るとは思いもしなかったが、いっそのこと主夫でも目指してみるか…笑
自宅で集中するには【集中力を高める10の方法】
コロナの蔓延で「テレワーク」による勤務や、「在宅ワーク」をする人が増えた結果、みんなが『集中力』を必要と感じている。
なぜなら、今までは会社・カフェという自宅以外の場所に移動することによって、ある程度集中しやすい環境で仕事できたからだ。
今まで在宅勤務に慣れてない人が、いきなり自宅で集中できるのか?これは難しいだろう。また、カフェもほぼ使えなくなったので、コロナ以前からカフェで働くフリーランスや、ノマドワーカーにも自宅で集中する必要性が発生した。
そこで、集中力を上げるのに、カンタンですぐ出来る方法はあるのか?
その方法に関する本はたくさんあるが、あえて著名人がプッシュする本ではなく、Kindle Unlimitedでタタ同然で読める本著を紹介しよう。
1.筆者も集中力がなくて困っていた
筆者も自宅でライターの仕事をしているが、ついつい昼寝が長くなったり、海外ドラマを一気見したり等、みんながやりそうな失敗を経験している。
そのことに危機感を持って、自身の身の回りの環境を変えることで、「こうすれば集中できるんだ」と、自身に合った方法を見つけたのだ。
研究論文に基づいた、ある程度根拠のある方法を10個紹介しているので、どれか一つでも、今より集中できるようになったら、元を取ったと思えるだろう。
本著にもあるが、私たちは今まで集中する方法を知らなかっただけだ。よって、方法さえ分かってしまえば、今からでも挽回は可能だ。
2.本著を読んで私が実践していること
本著の10の方法の内、私が早速実践しようと思ったことを3つ紹介しよう。
①Spotifyで雨のBGMを流す
音の刺激ももちろん集中力を妨げるものです。隣の人の話し声、足音、車の通る音、時計の秒針の音…気にしていないとしても実はあなたの脳はそれにより集中力を削がれている可能性があります。
そんな時に使えるのが『雨の音』。川の音や海の音が好きならそれでもいいのですが、『雨の音』は段違いに集中力を高めてくれる代物。実際、雨の日に仕事、勉強が捗る経験をされたことはないでしょうか?
それは雨の音によって、普段だったら聞こえてくるはずの『集中力を阻害する雑音』が聞こえてこないからです。雑音というのは、自分で出しているわけではないので、その音をどうにかすることは諦めるしかありません。雑音を出しているものに対してイライラしても損するのはあなたですし、ここは自分ができる方法で対策しましょう。
(本著 Kindle版 No.124より)
これに基づいて、雨の音を無料で流してくれるアプリは何か、Spotifyだ。
このアプリのメリットは、無料版YouTubeとは違い、バックグラウンド再生に対応しているので、もしスマホでなんらかの作業が必要でも、再生したままで作業可能というところだ。
無料版Spotifyのデメリットは、シャッフル再生しかできないことだが、「雨の音」は順番通りに流れなくても気にならない。
この「雨の音」を流して、集中モードになるのだ。
②冷蔵庫に今日のタイムスケジュールを貼る
「とにかく頑張る」で人は動かない。「1時間ごとに何をするか」と大雑把でもいいので、タイムスケジュールを決めておけば、身体も時間を意識して動いてくれやすくなる。
そして、そのタイムスケジュールは目に付く場所に貼っておく。私の場合は冷蔵庫に貼った。
(ある日のタイムスケジュール かなり大雑把だ)
そして、タイムスケジュールを作る上で大切なことは3つ
- 詰めすぎない
- 娯楽の時間も設ける
- 実践して合うかどうか確認する
まず、計画にも”遊び“が必要だ。あまり細かく考えすぎると、計画を立てること自体が苦になってしまう。まずは大雑把に作ることから始めてみよう。
次に、計画を立てる時は、つい完璧な自分を目指そうとしがちだが、娯楽を一切しないというのは実際ストレスになる。「ゲームしたい」と思ったら、「ゲームしてはいけない」ではなく、「○時になったらゲームしてもいいんだ。」という考え方にしよう。
そして、何よりやってみないと、自分にしっくり来るかどうか分からない。集中力が何分続いたかを記録しつつ、毎日計画を見直すクセをつけてみよう。試行錯誤こそ大切だ。
③スマホの設定で、アプリの使用時間の制限をかける(iPhone版)
『薬も過ぎれば毒になる』。有益な情報を得るツールにもなったYouTubeやTwitterなども、見過ぎは禁物。程よい時間でやめられるよう、設定で時間制限を作ろう。
この機にやり方を紹介しよう。
ホーム画面
↓
設定
↓
スクリーンタイム(画像の赤矢印)
↓
「App使用時間の制限」 そしてON
↓
「制限を追加」
↓
アプリを選択して、右上の「次へ」
↓
時間を設定して完了!
これで制限時間が来たら、ロックがかかるようになる。もちろん、自分で外すことは簡単だが、「制限時間を超えました」という表示を見れば、はっと我に帰ることが出来るので、そこで集中力を取り戻すのだ。
以上3つを1週間試してみてるが、今じわじわと効果を実感している。案外やってみたら上手くいくものだ。
ちなみに、本著には書いてないが、「試してみたくてウズウズする」や「好奇心のスイッチが入る」ことも、集中力が上がる方法だと体感した。これらのことについては、また別の読書感想文で紹介しよう。
必要なムダになるために【ずるい考え方 ゼロから始めるラテラルシンキング入門】
突然ですが問題です。
「13個のみかんを、3人の子どもに公平に分けるにはどうしたらいいですか?」
.
.
.
もしかしたら、あなたの頭に「4個ずつ分け、余った1個は3等分にする。」や、「重さを計って同じ重量になるように分ける」とかが思い浮かんだかもしれない。
数学の問題なら、それで正解だ。
これはロジカルシンキングと言い、論理的に掘り下げて答えを探す方法である。
だが、現実でやると、本当に公平になるだろうか?
仮に個数で分けたら、大きさにばらつきがあったせいで、不公平に見えるかもしれない。重量で分けても、「私のだけ味が酸っぱい」と言い出すかもしれない。
「じゃ、ジュースにしたら良くない?」
そう。みかん全部をミックスして、飲み物にしてしまうのである。
普通に考えたら、この方法は出てこない。しかし、確かにその方法もある。これが本著で紹介する『ラテラルシンキング』だ。
「ああ!その手があったか!」と、思わぬ発想をひらめくこと。それがラテラルシンキングであり、「ずるい考え方」なのだ。
本著の『ずるい』は、不正行為や法律違反のことではない。柔軟な発想や、少し変わった角度から問題を解決しようということなのだ。
ちなみに、先ほどの“みかんの問題”に対して、私は「ケーキの材料にして、そのケーキを分ける」と答えた。
「え?」という突拍子もない答えであっても、ラテラルシンキング的にはOKだ。
※さまざまな材料が必要なので、めんどくさいが←
実際に『ずるい』考え方はどう活かされているかを、本著からいくつか紹介しよう。
1.どんなメリットが?
- かけるコストや労力が大幅に減る。
- 悪い局面も上手く利用できる。
実はこのラテラルシンキング、さまざまな有名な例で取り上げられている。
(画像:JR東日本HPより)
例えば、IC改札機は改札機そのものを長くした。そのおかげで、改札機を通る利用者が詰まってしまわないように出来た。
元々IC改札機は、運賃の計算速度が遅いという課題を抱えていた。
もちろん、計算速度を上げたり、改札機の数を増やすという選択肢もあったが、いずれもスペース・技術的に難しかった。
そこで、改札機そのものを長くすることは簡単なので、それによって計算速度の課題を解決したのだ。
(画像:Amazon販売ページより)
もう一つの事例である、J・K・ローリングは「ハリー・ポッター」の作者として有名だ。
実はその作品、彼女が失業中に書いたものだという。「失業中」は言い換えると、時間を存分に使えるということだ。
そう。会社・サービスの課題が困難でも、仮にあなたがコロナや病気で仕事を減らされても、発想の転換一つで乗り切れるのだ。
2.常識はなぜ疑えないのか?
ITの進化により、今までの常識が変わったという話は聞いたことがあるだろう。常識や慣習にしがみついた結果、時代に取り残されることは避けなければならない。
ラテラルシンキングをする上で、常識に囚われないことが大切だ。しかし、それが結構難しい。
なぜなら、学校の教育では、ロジカルシンキングに触れることがほとんどだからだ。一つの答えについて考えるのは得意な反面、正解が決まってない問題を考えることは苦手になりがちだ。
正解を求められて育った、そんな子どもが大人になったらどうなるか?「間違い」を出すことが怖くなってしまうため、自分の意見を出さないか、無難な発言しかしなくなる。
もちろん、その方が楽であり、発言の責任も取らなくて済む。
また、「変わった発言をする奴として、組織の中で浮いてしまうのが嫌だ」という人を私は多く見てきた。
しかし、「無難」で居続けると、言われたことだけをやる機械に成り下がってしまう。ただの機械なら、AIの方が優秀だ。
生き残るために、AIにとって苦手な発想力を今日から磨くのだ。
3.強者に必ずしもならなくていい
(画像:第1回 カマドウマの心を操る寄生虫ハリガネムシの謎に迫る /ナショナルジオグラフィック日本版サイトより)
ラテラルシンキングの一つに、真っ向から勝負しないという考えもある。
『弱肉強食』 という言葉の意味を思い出して欲しい。これは生き物の世界を説明する言葉だが、人間世界でも、結構当てはまらないだろうか?
「稼ぎたい」「お金がもっと欲しい」そんな願いを達成するために、一生懸命に頑張る人たちがいる。もちろん、年収が数千万に達する人を私はすごいと思う。しかし、そんな数千万の人たちも『弱肉強食』の輪の中からは抜け出せない。
お金が欲しいと頑張って稼いでも、資本力や権力では勝てない相手が存在するし、出会ってしまう。
パチンコで例えてみよう。パチンコには、それで稼げるプロと、お店を提供するオーナーがいる。
強者はどっちか?
どちらもお金を稼ぐが、資本も力関係もオーナーの方が強い。なぜなら、常に自身が勝てるように、ゲームをコントロールできるからだ。
一方、そんなオーナーも、国や海外のトップ事業家には勝てない。
このように、何事にも必ず上がいるということを忘れてはいけない。
『弱肉強食』という言葉を挙げたのには理由がある。明らかに自分が勝てない相手が現れた時、その対処法を知るためだ。
そこで、人間以外の生き物の戦略に目を向けてみよう。彼ら生き物は真っ向から勝負せず、上手に生きる方法を身につけている。
生存戦略には様々な事例がある。
- コバンザメのように、強い生き物のおこぼれを利用して生きる方法。(例:車販売メーカーと部品生産会社の関係)
- 寄生虫となって、強者の利益を吸い出す方法。(例:行列のできるラーメン屋の隣にラーメン屋を出し、妥協したお客を吸収する戦略)
- 自身の身を守りたいヤドカリと、自身の生活圏を広げたいイソギンチャクのように、互いの利害を一致させる方法。(例:機能で押したい自動車メーカーと、カーナビを売りたいメーカーのコラボ)
(参照 本著Kindle版 No.883より)
このように、人間世界でも、生き物の生存戦略をヒントにした手法が採られている。
もし、あなたも努力では強者に勝てないと踏んだなら、逆に強者には出来ない方法を採ってみよう。特別なポジションが取れたり、逆転できる可能性が見えてくる。
努力は必要だが、努力は全てではない。意外とユニークな奴が得をする。
あなたにも、もっと上手くいく方法が存在する。柔軟に考え、努力も変化も両方とも、必要な場面を見つけて使いこなすのだ。
4.ムダに見える人にも価値がある
どんな会社・組織にも、あまり生産性の高くない人は一定の割合で生まれてしまう。
かといって、優秀な人のみを残して、他を排除してしまうとどうなるか?
その残った優秀な人の中で、
- “優秀な人”
- “そこそこな人”
- “全然働かない人”
に分かれてしまうのだ。
では、「全然働かない人」は邪魔者にしかならないのか?
いや、実はメリットがある。
アリの話を下記画像で紹介しよう
(イラスト:ふじわらのりこ ©︎朝日学生新聞社)
アリにも交代要員が必要で、働かないアリがいなければ、組織は機能停止してしまう。
もし、効率だけを追い求めた人しか、組織にいなければ…真面目・窮屈で、ギスギスした雰囲気になるだろう。
人員の”ゆとり“を少し持たせれば、繁忙期にも対応しやすいだろう。また、いじられキャラ・ムードメーカーという“ゆとり"な存在は、組織の潤滑油にもなれる。
なぜ、ここで“ゆとり”が出できたか。
例えば、アクセルとブレーキの間には、「遊び」という“ゆとり”が存在する。この“ゆとり”がないと、急発進と急ブレーキしか出来なくなるので、安全のために必要なのだ。
さらに、「全然働かない人」は、(比較的)働き者ではないからこそ持つ能力がある。
彼らにとって、冒険のハードルは低く、そこからの発見もあるだろう。また、楽をする性質があることで、そこから斬新なアイデアが出てくることもあるのだ。そんな冒険や発想力が一つの能力なのだ。
だから、もし組織での評価が低くても、くよくよすることはない。特別な能力が開花するチャンスに恵まれているのだから。
だからといって、発想力を鍛えることをやめると、どうしようもなくなるので、その訓練は忘れずに。
5.読んだら何から始めてみる?
早速忘れないように、私も訓練方法を挙げていく。
・物の使い方を何通りも考えること。
物には、その本来の使い方とは別の使い方が可能だ。
例えば、新聞紙はニュースを読むだけではない。野菜を包んで冷蔵庫に入れたり、油掃除に使ったり、火を付けるのにも使える。
これを30通り出す練習をするのだ。
これはやってみたが、かなり難しい。如何に私たちが、本来の使い方に縛られていたかがよく分かる。
不用品でも何でもいい。新しい使い方が見つかれば、思わぬ生活の知恵や発明をもたらしてくれる。
・2つのものを組み合わせる。
これは起業プランや企画を考える際に必要だろう。
全く新しいアイデアを作るのは難しいが、既存のものやシステムを組み合わせると、アイデアは無限大だ、
例えば、私のお気に入りの「BAND-MAID」は、バンドとメイドを融合したバンドだ。
(画像:BAND-MAID Official Web Siteより)
メイドの”可愛い“
バンドの“カッコいい”
を上手く取り入れたグループであり、その姿でハードロックを演奏するというギャップにより、世界中で大人気だ。
このように、日頃から様々なことに興味を持ち、目にしたものを頭の中で混ぜてみる。そんな取り組みで大ヒット商品がきっと生まれる。
・スベるのに慣れる
アイデアが思いついたら、アウトプットすること。さもなくば、学んだつもりになっただけで、何も本著から学んでいないことになる。
その時に大多数が気にするポイントは、「スベったり、変な空気にしてしまったらどうしよう…」である。
もし、これが会社の会議なら、そんな雰囲気や社風にさせた時点で経営者の失敗だ。とは言え、目の前の課題を人のせいにするわけにいかない。それで会社が衰退して倒産したら、話にならないからだ。
私は幸運にも、高校生ぐらいからスベるのには慣れていた。
会社や雑談でアイデアを求められる時も、「とりあえず何か言ったら、進展あるかも!」というスタンスで、思いついたことを言う。そして、「それはナンセンスでしょー」とツッコまれるまでがテンプレだ。しかし、たまに「それは面白いね!」と採用されることもある。
採用されるアイデアとは、たまに出るホームランのようなものと考えたら、気が楽になるだろう。
他にもAppleやKDDIなど、たくさんの『ズルい』実例が登場するが、気になる方は是非本著を読んでみて欲しい。
発想力の鍛え方はまだまだあるので、あなたに合う方法が見つかるかもしれない。
そして最後に、
もし、あなたが社会の絶え間ない競争に疲れてしまったら、一度競争のステージから離れて、『ずるい』戦略を考える転機が来たと思ってみよう。
何歳からでもやり直せる【失敗図鑑 すごい人ほどダメだった!】
おそらく、あなたの抱える悩みや過去の失敗は、この本に登場する偉人も同じ経験をしているに違いない。
失敗図鑑(以下、本著)に出てくる偉人は、新旧幅広く、孔子からスティーブ・ジョブズまで。ジャンルも芸術界の巨匠ピカソや野球界の大物ベーブ・ルースに、あのノーベル賞のノーベルまでさまざまだ!
イラストの雰囲気などがキャッチーで読みやすく、親しみやすいが、それぞれの波乱万丈の人生が垣間見える構成になっている。
前記事の『嫌われる勇気』の感想文で私は、「すごい人にならなくていい」と書いたものの、本著は生きる上で非常に勇気を与えてくれ、創作のヒントに役立つ可能性のある本なので、ぜひ紹介させて欲しい。
1.個人的に気に入った偉人
もちろん、あなたに刺さる偉人エピソードは他にあるだろうが、私個人が気に入った2人を紹介しよう。
夏目漱石とカーネル・サンダース
「吾輩は猫である」「こころ」また、千円札の人物として知られている。
そんな彼がどんな失敗をしたかというと…
彼はもともと英語の教師であり、国から「英語についてもっと学んできてくれないか?」と依頼を受け、ロンドンへ向かった。
が、
街を歩く美しい顔立ちの現地人が多いなか、自分ひとりだけが小さくて汚く見えたり、国からのお金では生活費が足りなかったり、そして何よりヒドイのが自分の英語が現地で通じなかったのだ!
そんな環境で、もともと病みがちな彼は引きこもりになってしまい、結局何もできずに帰国することになってしまった。
しかし、そんな彼の転機を変えることがあった。友人から心のツラさを軽くするために小説を書くことを勧められたのだ。そこで漱石は「吾輩は猫である」を生み出し、そこから有名作を生む人気作家になったのだ。
「ケンタッキーフライドチキン(以下、KFC)」を創った人。これ以上の説明は不要だろう。
彼がKFCを創ったのが彼が65歳の時だが、この時までは上手くいかないことだらけだったようだ。
13歳で学校は途中で行かなくったり、同僚を救うべく会社に楯突いてクビになったり、会社を創ったのに早々に倒産したり、交通事故で半年間入院したりと散々な目に遭っていたようだ。
この時点で彼は37歳だったらしい。
入院生活が終わり、ガソリンスタンドで働いていたカーネルは、ガソリンスタンド周辺に美味しい店がないということで、飲食店を出した。特にこの店のフライドチキンが人気で、その後ホテルを建てたりなどして成功を収めた…が、
彼が65歳の時に、店の近くに高速道路が出来たことで、店は潰れて彼はすべてを失ってしまった。その時残ったのが、フライドチキンのレシピだけだった。
その後、彼はフライドチキンを店に置いてもらい、売れた分だけお金をもらうという販売方法で再起を果たし、今や全世界に彼の名前が広がるまでになったのだ!
両者ともに言えることは、失敗をしても、そこから立ち上がってリトライしたり、視点を変えて新しいものを生み出すことに挑戦したりと、とにかく失敗を失敗のままで終わらせないようにしたことだった。
一見、何一つ収穫がないと思える経験も失敗も、どこかで活きる日はきっと来る。そのためには、ゆっくりでいい。もう一度歩き始めることだ。
他、さまざまな偉人の深イイ話を楽しめるので、Kindle Unlimitedなどで読んでみることをオススメする!
2.本著を読んでやってみたいこと。
本か連載小説のような作品を作ってみたいと思った。夏目漱石と似た素質がもしかしたら私にもあるかもしれないと思ったからだ。
彼の素質について本著はこう言及している。
もともと、漱石はよく考える人でした。考えすぎて心がツラくなっても、ずっとしんけんに、世の中について、人の心について考え続けました。
でも、考えるだけなら、誰にでもできます。どんなに難しいことを考えたとしても、考えるだけでは何の意味もないのです。自分の考えを形にする。表現する。これが大切です。
(本著 P42 下段より)
私もどちらかというと、くよくよ考えるタイプなので、友人からも「お前は物事を複雑に考えすぎなんだよ。」と励まされることもあった。
だが、考え込みがちな人にはその性格だからこそ、上手くいくパターンもあるはずだ。普通のサラリーマンのような生き方がたまたま合わないことがあるだけで、どこかにあなたの光る場所やポイントがある。
私は大多数が採る生き方に上手く馴染めない人の、その上手くいかないと思う原因や背景、考え方を突き止めて、もっと楽に生きれるヒントを見つけたい。
そして私がその答えを本や小説、はたまたブログなどで表現してみせたい。現在はたまたま浮かんだアイデアを形にするべく、調査および取材中である。いつか披露できるように頑張るのでお楽しみに。
もっとも、この挑戦は上手くいく保障はないし、創作中は孤独に感じるかもしれない。
ただ、それでもやってみたいことには、ピカソ(本著 P119)のように果敢に挑戦して孤高に生きよう。
大丈夫。カーネル・サンダースは“65歳から”やり直してるんだから。
死にたい理由の正体【嫌われる勇気】
生きるのに疲れた。頑張れない。死んだら楽になれる。死のう。自殺しよう。
学校や職場でのいじめや、職場のパワハラ、就職転職活動の相次ぐお祈りに、嫉妬とコンプレックス、借金、裏切り…自殺した人からは直接聞くことは出来ないが、多くの人々は逃げられなくなって、自分の人生を閉ざすことを選ぶ。
私も死んだことはないが、将来の不安を理由に自殺することを検討したり、どん詰まりな絶望の淵にいた経験があるから気持ちがよく分かる。
心から愛する人を失い、キャリアアップの道も閉ざされ、コロナショックで株価が半分になり、何事も中途半端で努力したい目標も見つからず、頼れるものは何一つない。
もし、今が生存競争の激しい時代だったらとっくに私は死んでいたはずだし、もう…
しかし、死をイメージする中で私は一つ大切なことに気づくのだった。
苦しい原因って、承認欲求…?
珍しくハッと気づけた自分を天才だと思った。これの向き合い方さえ分かれば、生きる苦しみから抜け出せるかもと。
私は承認欲求の消し方を調べて『嫌われる勇気』(以下、本著)にたどり着いた。
今回は本著を読みながら、死にたい理由がどこから出てくるのかを見つけて、その上でどう生きようと思ったのかをアウトプットしていく。
※説明
承認欲求とは、「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という欲求であり、「尊敬・自尊の欲求」とも呼ばれる。
(Wikipediaより)
1.すべての悩みは「対人関係」である
死にたいと思う大半の理由を大まかに分ければ、「居場所がない」「味方がいない」「お金がない」「将来が閉ざされた」「誰にも評価されない」「これ以上生きていてもしょうがない」などだ。
実は、これらはほぼ社会や他人がいることで生まれる理由だ。
居場所は他人が集まる場所、味方も評価も他人ありき。お金がないは度合いにもよるが、貧しい国では貧困なのに、たくさん子どもを持つ家庭が多い。なら、貧乏そのものが理由ではなく、お金を通じて発生する対人関係の方に理由があるのだ。
「人からどう見られたいか」これが承認欲求である。これを満たしたいけど、満たされない。それが嫉妬心やコンプレックス、孤独感や復讐などに繋がっていく。
「馬鹿な。私のはそんな単純な話じゃない。」そう思うかもしれないが、イメージしてみて欲しい。
- 「周りの皆んなができるのに、自分だけできない」
- 「自分より苦労している人を見ると安心できる」
- 「上司に目をつけられたくないので、イエスマンになってる」
- 「人から嫌われたくない」
- 「頑張ってるのに報われない」
これら何かはあなたにも経験があるはず。人は他人と比較して、社会や組織の中で自分の今いる位置を確認している。だが、強者や多数派で作られる社会で、少数派は驚くほど報われないし孤立する。だから、「社会に殺された」なんて言葉を聞くのだ。
対人関係としっかり折り合いをつけない限り、これら対人関係を理由に死にたくなって落ち込んだり、仮に成功してお金持ちになったり、有名人になれても苦難は終わらないのだから。
では、対人関係を一気に解消する方法は何か?
2.過去は意外と関係ない
本著から解消方法を紹介しよう。
過去を呪縛と見るか、人生を変えるきっかけと見るかー
「○○な経験があって、今私は××なんだ。」これは原因論といって、過去のトラウマや嫌な記憶のせいで、踏み出せない状況のことをいう。
しかし、本著では『目的論』といって、「私は××な状態でいたいから、○○な経験を都合よく思い出しているんだ。」という普通思いつかない考え方が登場する。
受け入れ難いと思うが、「○○があったから自殺したい。」は原因論であり、目的論なら「自分のピンチをアピールしたり、自分を守りたいから、自殺したいと思う」と心はそう発信しているのだ。
「馬鹿な」と思うかもしれないが、本当に自殺したかったら、既にこの世からいないはずだ。実際に自殺した人はこれ以上自分を傷つけたくないという目的で行動に起こしたと言っていい。
逆に生きている人が「自殺したい」と言うことによって、言い方は悪いが注目を集められるし、自身を丁重に扱ってくれるからその一時で安心できる。
しかし、これはある意味タバコで気を紛らわすのと似ていて、気をつけないといつまでも同じことをループしてしまう。
ここで大事なのは、原因だと思っていた過去を「そんなの関係ねぇ」と、自分から引き離すことができるということだ。過去のことを否定しなくていい。ただ、現在の状況と繋がってるように見えて、「意外と関係なかったかも」と気づくことがポイント。
(©︎SUN MUSIC公式サイトより)
そして、「辛いことを気にしないで済む生活を送りたい」という『目的』に沿って、過去のトラウマを「トラウマ」ではなく、「ただの経験」ということにしてしまえば、ダメージは以前よりも弱くなるはずだ。
そう。捉え方一つでかなり変わる。
とりあえず、色々ツッコミたいこともあるだろうが、あくまで私個人が刺さった部分を書いているので、細かいところは本著を読んで、あなたにとっての答えを探してみて欲しい。
では次へ
3.コップのなかの嵐
学校の外には、もっと大きな世界が広がっています。そして、われわれは誰しも、その世界の一員です。もしも学校に居場所がないのなら、学校の「外部」に別の居場所を見つければいい。転校するのもいいし、退学したってかまわない。退学届一枚で縁が切れる共同体など、しょせんその程度のつながりでしかありません。
ひとたび世界の大きさを知ってしまえば、自分が学校に感じていた苦しみが、「コップのなかの嵐」であったことがわかるでしょう。コップの外に出てしまえば、吹き荒れていた嵐もそよ風に変わります。
(本著 P193 哲人の台詞より)
人は本能で『どこかに所属している』という実感を求めている。それは『居場所』ともよくいう。
そんな本能のために、いじめや就職転職活動での度重なる不採用、家庭内の不仲などを経験すると、自身の居場所がないように思えてくる。
特に、自分の知ってる世界が特定の環境に強く依存していれば、それに裏切られた時や失った時に、強いショックを覚えてしまう。
そしてショックを受けて苦しい時は、自身を縮こめて世界も狭くなってしまう。自身がコップのなかの嵐にいることに気づけなくなるのだ。
私の場合は、かつてお付き合いしたいた女性を幸せにしたいと転職活動を始めるものの、過去の職歴が心証を悪くして上手く行かず、その最中彼女から別れを告げられてしまう。さらには、コロナで株価が急落し、副業の株で(短期的に)稼ぐスタイルも通用しなくなり、何をやってもダメな世界にいたと思った。
そのコップのなかで私は、嵐どころか洪水が発生していたような苦しみだった。悩むに悩んだ。
結局、私はとある面接で「過去の失敗から学んだのは、やりがいは自分で作ることです。」と発言したことで、転職活動する自身自身への矛盾に気づいて活動を辞めた。そして、第5の選択肢ぐらいの生き方へ舵を切ることにした。
私は転職活動というコップのなかの嵐にいたことに気づき、自分が窮屈に感じない世界を探しに、コップのそとに出たということだ。
「逃げた」って?
別に戦うことだけが人生でもあるまい。
そのあと、どうするかが大切だ。
4.こっから先は他人の問題
自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。
(本著 P147 哲人の台詞より)
世間体や他者の目というコップのなかの嵐を抜けた後の話に移っていく。
引用の後半で出てきた『他者の課題』とは何か?『課題の分離』についてである。
簡単に言うと、自分はやるべきことはやった。後はそれをどう評価するかは他者が抱える問題であって、私の課題ではない。だから何と評価されようと、「そんなの関係ねぇ」ということだ。
(©︎SUN MUSIC公式サイトより)
例えば、あなたが社内でとある仕事をチームワークを駆使して成功させたとしよう。ある人は「自分の限界をちゃんと分かって、皆んなを頼っている。」と評価すれば、一方では「あの人は一人じゃほぼできないことばかりだから、仕事を体良く押し付けた。」と言うだろう。
どんなことにもポジティブにもネガティヴにも捉えることができる。だから、あなたが人からよく思われようという動機で行動しても、何とでも言えてしまうのだ。
他者の思うことなどコントロールはできない。だったら、「私は私の思うベストなやり方でやった。それ以上は何言われても仕方ない。」と、自分の中で完結してしまえばいい。
先ほどの目的論でネガティヴなことを言う人の心理を考えれば、「私に難癖つけたいから、ネガティヴな側面を持ち出して批判したんだ。」と言えてしまう。
5.自分で自分を評価するには?
「もし承認欲求を否定して、人目気にせず理想の自分を目指すにしても、その確認方法として報酬やイイネの数など、結局人の評価が必要なんじゃないの?」
評価は結果につくのであって、努力自体にはついて来ないと知っているからだ。
私はその点が気になって、本著を読み進んで答えを見つけた。
その答えは
↓
6.Answer 1「評価も未来も気にしない」
われわれの人生もまったく同じです。人生全体にうすらぼんやりとした光を当てているからこそ、過去や未来が見えてしまう。いや、見えるような気がしてしまう。しかし、もしも「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなるでしょう。
(本著 P271 哲人の台詞より)
本著では、過去のことも関係ないと言ったが、未来も気にするものではないと書いてある。
未来のことを考えて行動するのも原因論的な考えであり、「こうしたら、ああなる」に囚われる可能性を示している。
では、未来を気にしなくて済むにはどうすればいいのか?
例えば、ステージに立ったバレエダンサーは自分にスポットライトが当たると、その光が強いあまりに、前の観客は見えなくなってしまう。
人の目を気にすることなく生きるというのは、まさにバレエダンサーのようだ。
そう生きると、どうなるか?
「いま、ここ」という刹那を生きていく内に、「いつの間にか随分遠くまで来てしまったんだな」という状態になっている。そんな状態がベストだ。
評価をもらうことが自己評価ではない。少しずつ自分を良くしようと前進している感覚を持つことが大切であり、評価をもらってすごい人にならなくていいと思える勇気が、実はあなたの肩の荷を軽くしてくれるのだ。
だから、未来という余計なことを考えずに、自身の「いま、ここ」という瞬間を真っ直ぐに生きよう。
※
余談だが、未来を話すことが好きな職業として、保険屋と話した経験をついでに話そう。
当時、営業の職種に転職を考えていた頃、営業のうまい人のやり方を体感すべく、やり手の保険マンを紹介してもらって話を聞いた。
しかし、これは私を絶望の淵へ追い込むことに貢献した。
話の中で、「老後にどれだけの資金が必要か」「子供は出来るとしたら何人欲しいか」「奥さんとどんなデートがしたいのか」なんてことを答えている内に、帰宅した後、私は将来の希望が一切見えなくなってしまった。
「自分のような心が弱い人間が子供を作っても、もっと弱い子供にしてしまうだろうし、ましてやこんな男と結婚したい女性もいないだろう。
必要と思って老後のために保険は契約したけど、結局老後の資金問題は全部は解決しないんだよな」と、未来はないような心境だった。
「もう、転職すらも上手くいかない人間には、今の閑職で一生生きる。これが私が進路を失敗した罰なんだって。」
そう。完全に無気力になった。
別に保険屋は悪気があって未来の話をしているわけではないが、ナイーブな人間が将来のことを真面目に考えると、とことん闇に沈んでしまうんだなと思ったし、未来が怖く思えた。
この経験も本著の視点から言えば、目の前のことに集中出来てないから、過去を悔やんだり、起きやしない将来の不安に心を締め付けられてしまうのだ。
究極、死ぬまで働けば老後の心配なんていらない。
逆に働かなかったらボケるのも早くなるし、暇になるとネガティヴなことが浮かんでくる私にとっては、働いていたらいつの間にか死んでたぐらいが丁度いい。
むしろ、『老後』という概念が人を将来の不安に突き落として、心を壊してるのでは?
結局、私はその保険をクーリングオフして、いつまでも健康でいるための行動を取ることにした。
7.Answer 2「私の『目的』(この本を読んでどうしたいか)」
目標など、なくてもいいのです。「いま、ここ」を真剣に生きること、それ自体がダンスなのです。深刻になってはいけません。真剣であることと、深刻であることを取り違えないでください。
(本著 P274 哲人の台詞より)
立てる目標がない私に向けた最大のメッセージが上の言葉である。過去や未来のことを気にせず、思いつくさまざまなことを試してみようと思った。
私がやろうと思いつくこととは以下のことだ。
「文章、絵など思いつくさまざま表現で、皆んなが苦しむこととその理由を形にして、皆んなの肩の荷を軽くしよう。」
私は飽き性・気分屋な性格で、一つの職種が長く続かないことを分かっているので、仕事してキャリアアップを積んでいくサラリーマンや、職人のような生き方がそもそも向いてないと思うし、本気でそうなりたいと今は思っていない。
でも、職人がもてはやされるのが資本主義社会の市場なので、それが出来なくて苦しむ人たち(かつての私みたい)に何か一つでもいい。
生き方の選択肢やヒントが思いつき、誰にも見つけられないあなたの才能を、あなた自身の手で探し当てられるようになって欲しい。
そう願い、私も思いつく手段の創作活動を可能な限り試したい。
このブログもそんな『目的』のために、とりあえずやってみたことだ。
正直、文章も絵も素人なので、一から試行錯誤しないといけないのが辛いところで、やったからと言って確実に報われるものでもない。
だが、それでも構わない。皆んなが山頂を目指して山を登っているのなら、私は寄り道そのものを楽しみながら登山するタイプの人間なんだから。
ただ、『思いつく限りのことを、人の目や世間体を気にせずやってみる。』現在はそんな『今を集中する』生き方に夢中になっている。
自殺は意外と面倒【完全自殺マニュアル】
あなたは今死にたいと思っているだろうか?
自殺して楽になりたいだろうか?
もし、確実に死ねる方法が知れたらどうする?
自殺って悪いこと?もちろん、これから挙げる本著やこのブログを読みながら各自で考えてみて欲しい。
こういう状況のなかで、もうただ生きてることに大した意味なんてない。もしかしたら生きてるんじゃなくて、ブロイラーみたいに“生かされてる”だけなのかもしれない。だから適当なところで人生を切り上げてしまうことは、「非常に悲しい」とか「二度と起こしてはならない」とか「波及効果が心配」とかいう類の問題じゃない。自殺とはとてもポジティブな行為だ。
(完全自殺マニュアル P7 はじめに にて)
本著は純粋に「どんな死に方があるのか・どうすれば間違いなく死ねるか」についてさまざまなケースも含めて紹介する、いわば自殺のハウツー本である。鶴見済(以下、著者)曰く、「その気になればいつでも死ねる安心感」こそ、私たちが頼れるものだという。
今回はそんな本をも読書感想文のネタにしてみた。
1.確実な手段と準備が万全なら自殺はほぼ成功する
前提として、本著は必要と感じたら自殺はしてもいいという立場であり、確実にそれが達成できるように具体的な話が書いてある。
数々の自殺方法を
- 苦痛
- 手間
- 見苦しさ
- 迷惑
- インパクト
- 致死度
の6項目に分けて、各手段の成功確率や見た目的な効果などを解説していたり、具体的な手段、成功・失敗例も盛り込んである。
例えば薬なら何錠飲むのか、切腹なら刃渡り何cmが必要か、飛び降りなら何m以上かつどこへ落ちれば確実かを細かく書かれている。もし実行したい場合は本著を手に取り、勝手に色々準備してみて貰ったらいい。
ここで具体的な情報を得て、楽しようと思わないこと。
2.【注意】稀に生き延びてしまう
確実に死ぬ方法が書かれているが、奇跡が起きてごく稀に生き延びてしまうケースや、いざ実行しようと思うと、足がすくんで未遂に終わるケースがある。
著者も論文やデータを集めて分かりやすく解説しているだけであって、肝心な当事者ではないという点に気をつけて読むこと。
3.個人的にベストと思っている自殺方法は…
「凍死」特に雪山で。
「寝るな!死ぬぞ!」という台詞が有名なように、雪山でなら意識が眠るように、苦痛を伴わず死んでゆける。
しかも気温の著しく低い場所でなら、腐敗による身体へのダメージも少ないだろうし、首吊り自殺より見た目はいいだろうと思っていた。
ただ、懸念事項もいくつか書かれていた。
死体発見時期が春の雪解けの時期になれば、当然死体は腐る。樹海での首吊り自殺死体のように、動物に無惨に食い散らされるので、運が悪けりゃ、(死体の状態として)綺麗には死ねないこともあるらしい。
もっと状態をよくという点に拘るなら、世界一の標高のエベレストなら、死体も回収されないし、標高8,000mなら余計な生物も入り込めない。
と思って、ググってみた。
(写真:Wikipediaより)
ところが、エベレストへは金がやたらかかる。最も安い登山コースで入山に250万円ぐらいかかるらしいので、貯金を頑張るか、複数の金融機関に借金をして保険金で返済するという計画が必要なぐらい料金のハードルが高い。もっとも、エベレストへ救助が来ることは基本ないので、保険金で返済するにしても行方不明扱いになったら、死亡が確認できず保険金は中々下りないかも?
わざわざ死にに行くのに、こんなにも大金が必要なら、仕事を辞めて普通に世界一周して、観光してからでもいい気がする。
4.死に美を求める奇妙な死生観
そもそも、なぜ私が本著を手に取ろうと思ったのかも話すことで、この本の一つの楽しみ方を提案したい。
ある日私が実家に帰った時のことである。その日食べる食材を買いに、近くのスーパーへ家族と出掛けていた。
そのスーパーには、鯛やサバ、アジ、サンマ、カレイなど捌かれる前の綺麗な状態の魚がずらりとコーナーいっぱいに広く並べられていた。
魚の鱗やぬめりが照明の光を反射して煌びやかに映るその光景を見て魅了されながら、なぜか私はこう思ったのだ。
「なぜ、魚でさえもこんなに綺麗に死ねるのに、ヒトは綺麗に死ぬことが難しいのだろう。」と。
何事も不器用で上手くいった経験はかなり少なく、生きる理由を見出せず、心も満たされず、それでも自殺を駆り立てる気持ちををいつも制していたのは、「見た目的な意味で美しく死ぬ」ことだった。
正直、死んでしまえば、自分の状態もそれを見た相手の状態も何一つ知ることはないのに、汚らわしい姿で人前に晒されるのがイヤなのだ。
飛び降りで赤黒さや黄色くなってバラバラな肉片になることや、首を吊って望まぬ失禁をして、ウジ虫にズタズタに喰われるのは個人的に美しくないと思っている。
また、眠るように死ねそうな睡眠薬などの自殺方法は、知り合いの女性がそれを実行して失敗し、何年も寝たきりになったことを聞いていたので、リスクの割に不確実だと思っていた。
どういう美的感覚が身についたのか不明だが、とにかく死ぬ時だけは彫像のように美しい姿で幕を下ろす。それが私の目指すべき死に方なのだ。
とにかく、生きるのに苦しくなって、一度「死」についてバカ真面目に調べて考察してみたいと思い本著に行き着いたのだ。
死ぬとどんな姿になるのかについても書かれているので、どんな最期を迎えたいのか、死に方からライフプランを立てる上で参考にしてみてはどうだろうか?
5.結局、私は自殺したいのか?しないのか?
結論の前に。まず死に方への美意識的な拘りがあるので色々と悩んだ。
そんな中、本著をAmazonで注文して届くまでの間、ふと冷静にもなって考えていた。
「ここまで死に方を調べる好奇心があるなら、他のことにも有効活用できないだろうか?」
なぜ、自分が生きる理由を見出せなくて落ち込んでいる理由を考えていた。
理由はたった一つだけだった。
それは、
承認欲求だ。
死にたくなる理由がハッキリと分かった瞬間、その承認欲求とは何か調べあげ、さらに自分の人生への向き合い方を変えたので、今はまだ死ぬ必要がないという結論になった。
承認欲求が理由とはどういうことか?詳しくは別の機会にて。
セックスが浮き彫りにするあなたの本性【花酔ひ】
「支配、されてみたいのだ。抗いようのない言葉で従わされ、征服、されたい。プライドも、人格も、命さえもすべてゆだねるかわりに、とことん乏しめ、這いつくばらせて、虫のように扱って欲しい。
そう ー 虫だ。手も足もない虫。桐谷千桜の足もとにひざまずく時、誠司は思考も感情もどこかへ手放し、欲望だけが詰まった虫になる。」
(花酔ひ 第八章 爪痕 P220より)
私もあなたも誰にも言えない秘密がある。特に言っても解決できないし理解も難しい性の秘密ならなおさら。
官能小説と聞いて、あなたはどんなイメージを持つだろう?「下品?」もしそんなイメージがあるなら、本著はそれを大きく変えてくれる。私もかつてそんなイメージを抱いていた1人だから。
私にとって、村山由佳(著者)の作品を読むのは『ありふれた愛じゃない』以来である。こっちの作品は恋愛小説として読み始めたのだが、語弊を恐れずに男目線で感想を言うなら、『花酔ひ』同様、女性が理性と躰それぞれで求めることは別。つまり本当に求めているのは快楽のセックスだということ。
そのせいで、村山由佳の小説にセックスは付き物という勝手なイメージが付いてしまったのだが、内容はいずれも濃く深い人間模様が描かれて面白いので、好きな作家となった。
さて、この作品のあらすじ、面白さをお話しよう。
1.ドS同士の夫婦とドM同士の夫婦計4人によるW不倫
サブタイトルの段階で既に波乱だが、あらすじはこちら↓
「浅草の呉服屋の一人娘、結城麻子はアンティーク着物の仕入れで、京都の葬儀社の桐谷正隆と出会う。野心家の正隆がしだいに麻子との距離を縮めていく一方、ほの暗い過去を抱える正隆の妻・千桜は、人生ではじめて見つけた「奴隷」に悦びを見出していく……。かつてなく猥雑で美しい官能世界が交差する傑作長編。」
(花酔ひ 背表紙より)
そしてメインの登場人物4人がこちら↓
- 主人公:結城麻子
務めていた会社を辞め、実家の呉服屋を継いだ女性主人公。家族からはとても愛されて育ってきた一方、後に桐谷正隆のしたたかで小動物を狩る蛇のような色気でに触れ、自身のMな部分に気付かされる。
- 結城誠司
麻子が以前勤めていたウェディング事業の会社で、彼女と仕事を共にして社内結婚。幼少期に身についた性癖と、現実の屈折した感情が入り混じる作中一番のドM。
- 桐谷正隆
葬儀屋会社「セレモニー桐谷」の社長に気に入られ、一社員からトップの右腕にのし上がった静かなる野心家。野心家故の支配欲のあるドS。
- 桐谷千桜
「セレモニー桐谷」の社長令嬢。正隆とは2年の交際を経て結婚。一児の母でもある。幼少期に勃起不全の伯父との性経験を秘めた作中一番のドS。
2.人は誰にも言えない秘密を抱えている
大切な恋人や気の許せる親友でさえも言えない秘密は誰にでもある。それは、恥ずかしくて知られたくないではなく、伝えたところで何も解決できないというニュアンスの方が強いからだ。
メイン登場人物の4人はさまざまな理由で結婚しているし、桐谷夫婦に至っては子どももいる。そんな4人がそれぞれの好きなプレイをパートナーに正直に伝えてもどうしようもないのだ。
例えば作中では、躰よりも心の繋がりが大事だと信じる結城麻子(後に躰の快楽に揺れてしまうが)と、社内での立場は高いはずなのに、妻麻子と比べて思うような人生を歩めていない自分への劣等感、そしてそんな自身を誰かに蔑まれ罰して欲しいという想いを秘めたドMな誠司。
誠司は元々、企画職を志望し、現在の会社に就職したが、実際にそれは叶わず別の部署に配属されることになった。
そんな彼とは対照的に、後輩として企画職として入社してみるみる内に活躍して、周りからの称賛を受ける麻子に、自分の企画職としての才能の無さ、彼女との比較により劣等感が生まれた。しかし、これは誰にも知られることなく、ひっそりと彼の中に渦巻いていたのだ。
見た目は優しく誠実で、会社の人達からも評判はいい。だが、その実やりたかったことでは才能のない自分を罵倒、罰してくれたらという想いは見た目や言動からでは誰も気付くことは出来なかっただろうし、満たされることもなかっただろう。
桐谷千桜と彼女の鋭く尖ったピンヒールに出会うまでは…。
3.性的快感をくれた相手にのめり込む
「こんなの初めて…」いかにもエロ本でありそうな台詞だが、こんな経験で相手のことを夢中になる現象は男女問わず起きるようだ。
少なくとも、私はかつて付き合っていた女性とそれに近い経験をしたことがある。
詳しくは私と彼女2人だけの秘密ということで、詳しくは伏せるが、以前彼女によって自分自身も気づかなかった点を突かれたのだ。
その時の強烈な快感が、私の中で愛撫を挿入に匹敵する快楽を与えるものに変え、彼女と別れた今もなお、その記憶は影のように私を縛りつけ、当時突然に別れを切り出した彼女を止めなかった自分を責める日々に苛まれたほどであった。
さて、話を戻そう。
物語が進み、桐谷正隆と結城麻子が2人でホテルに入った後日に、誠司も千桜と初めての夜を送ることになった。いや、千桜によって一方的に射精を許されず、痛みと恥辱だけを与えるSMプレイを受けるのであった。
しかし、これが誠司の求めていたパズルのピースだった。翌日この強烈な快感を思い出して、帰りの新幹線でトイレに駆け込み、自ら叫びそうになる口を抑えながら自慰に至るシーンは鳥肌が立つが、男だと衝動的にそうしたくなる瞬間はあると思う(こんな経験の有無を問うアンケートは見つからないが)。
それぞれが「これだ!」と見つけた性の快感は悲しくも不倫によって見つけてしまう。そして、このW不倫は身の毛もよだつ衝撃的な結末を迎えるのであった…。
4.本著を振り返り、私はこうしたい
セックスは人の本性を浮き彫りにする。これは理屈の話ではなく、本能の話だ。ただ、相手の関係を巻き込む不倫で本能を優先した結果を想像しないといけない。特に子どもがいるのであれば。
ある程度自立した大人ならまだしも、一人で生きる能力を得るべく大人に育ててもらわないといけない子どもにとって、不倫、浮気による家庭崩壊は子どもの心に、人を信頼できなくなったり、大事にしていた親を奪われたなど、将来に影を落としてしまう。
しかし、本当の問題は、いざ私がそんな本能や衝動を覚えてしまった場合の話である。人は気持ちのいい方に流れてしまいがちな生き物であり、「これはいけないことと分かっているから我慢しなきゃ…」と、その本能に逆らうことがとてつもないストレスだということはあなたも経験しているはず。
「自分が誠司の立場だったらどう自分を救うか?」2つの点で解決を図ろうと思う。
- 人との比較から解放する
誠司は妻麻子との比較で現在の自身の劣等感を作ってしまっている。私もかつての彼女が今を活躍する女性として記事に取り上げられ、多忙を極めているというのを見て、反射的に嫉妬心を抱いたことがある。
たしかに、彼女は私にはない才能、スキル、運を持っている。ただ、実のところそれが私自身が劣っているということを証明する理由にするには不十分。
そう言える理由は、同じ環境と条件に置かれていない2つの物事を比べても、主観が混ざってきちんと測定出来ないし、違いはあれど、何をもって劣っているかの判断基準に絶対がないからである。
自分の才能を見つけることや、努力が実る期間は正直バラバラだ。早ければ早いほどいいという話でもなく、早すぎて逆に才能を伸ばしきれない人もいるぐらいだ。
結局は自分が自分自身をどう思えるかにかかっている。
人との比較ではなく、自分の弱いと思うところと、どう折り合いを付けて自分を磨いていくか考えない限り、永遠に劣等感の問題から解放されやしない。
そして、「自分はダメ人間だ」とか「こんな自分を罰して欲しい」と、自分を責めて人との比較をやめない限り、ダメ男に捕まったり、お金ばかりがかかる信仰にすがるなど、どこかで間違った心の埋め方に依存するのだから。
-
他の性癖を見つける
相手に理解されないし、好ましく思われていない性癖を要求するよりも、もう少しマシな方法がある。
自分の新しい性癖を見つけることだ。
生殖本能であるセックスに理性でもって満足するのはまず無理だ。
満足いかないという感情に無理に我慢して蓋をすれば、いつまでも2人交わったふりだ。
そんなわけなので、もう少し楽に向き合う方法として以下のようにしたいと思う。
セックスを新しい自分を見つける冒険として楽しむ。新薬開発のように試行錯誤で望めば、日々ありとあらゆることを試してみたくなるし、パートナーとの楽しみも増えるだろうし、それにセックスを2人の「冒険」だなんて素敵な感じがしないだろうか?
私も変わった性癖(詳細は伏せるが)とそのギャップに苦しめられてばかりで、満足する方法を見つけるのに苦労したが、「おお、これは!?」と思える快感を見つけた時には、既存の性癖を気にしなくて済むぐらいに自身の悦びを上書きできた。
もちろん、元々の性格やフェロモンという内の要素もあるので、プレイのやり方を変えるだけで簡単に済む話でもないだろうが、その時はいつもと違う香水を使ってみるとかもいいかもしれないぞ。
とにかく声を大にして伝えよう。悦びの大きさはそれまでにかけてきた苦労に比例すると。
性癖も自分の劣等感も否定はしなくていい。
ただ、気にしなくて済むぐらいの何かで、自分自身を新しく上書きしたらいいのだから。
あなたが主人公だ【世界のエリートは10冊しか本を読まない】
あなたは本を読んだ時、その場では心動かされるような瞬間があったとしても、数日経ったらすっかりその本や作品の内容を忘れていることはないだろうか?
「読書は大事だ」なんて言われても、数だけ読んで結局何も活かされなかったり、途中で読むのが嫌で投げ出したことも珍しくないはず。
「本を沢山読まないと成功できない」なんて迷信をぶった斬るのが、本著である。
鳩山玲人(以下、著者)は鳩山総合研究所の社長で、三菱商事やエイベックスに勤め、ハーバードスクール(以下、ハーバード)でMBA取得後にサンリオに入社。そこで、海外事業を展開してサンリオメディア&ピクチャーズ・エンターテイメントの社長に就任。他にもDeNAやLINEの社外取締役や、UUUMのアドバイザーの経験を持つバケモノ。
本著はそんな著者がハーバードスクールで留学する時に受けたギャップ経験からなる本だ。
では、早速3つのポイントに焦点を当てて紹介しよう!
- 1.ハーバードでは、攻略本みたいに使っている
著者はハーバード入学前に、そこの教授たちの書いた本をごっそり買って勉強に臨もうとしていた。
ハーバードでは、毎年落第者を強制的に退学する仕組みがあるので、当時の著者にとってはある種の恐怖だったに違いない(笑)
しかし、実際にはほとんどそれらを読むことが無かった。いや、読む時間が無かったというのが正解か。
ハーバードの授業スタイルはケース・メソッド。過去にあった経営的な課題を議論して解決する授業スタイルだ。その場で用意された膨大な資料の中から、経営的判断をしないといけないので、事前の予習が難しい。
まさに、実際の仕事でも起きるような課題をやっているのだ。
そんな中で、本の使い方としては、インプットするものではなく、解決方法を見つけるための手段として本を読むのだ。
例えるなら、ゲームで難所にぶつかり、攻略本で解決する。その攻略本のような使い方がハーバードでの本の読み方だという。
「知識があっても使えなきゃ意味がない」では、実戦で使える本をどうやって探すかについては、ぜひ本著を読んで見つけてもらいたい。
※私の気分で別途解説する可能性あり。
- 2. アメリカと日本の読書感想文の違い
私が一番グサリと来たのはここ!
読書感想文は日米とでは内容の方向が違うのだ。
あなたが読書感想文を書いていた昔を思い出しながら、どんな違いがあるか予想してみて欲しい。
日本でよくある書き方は「要約&感想」という感じに、話の流れを追いつつまとめつつ、そこに自分の感じたことを書くことが多かったのではないだろうか?
いわば、筆者の意図や解釈の理解が大切にされている。
(※ちなみに、私が中学生の頃は感想文の定義を知らずに「要約」だけ書いてしまった。これではただのサマリーで、評価も踏んだり蹴ったり。)
ところが、アメリカでは「自分がその本の主人公だったらどう行動するか」がメインで書くことになるそうで、「自分の意見を主張する」が重んじられるアメリカならではの教育方法だ。
もちろん、どちらの教育方法にも長所はある。
しかし、他人の話を自分ごととして考える力を伸ばさないと、いざ大切な局面で自分で決断を下せないどころか、第三者にその選択を委ねられてしまうことが起きてしまう。
このコロナで国にも会社にも頼れない今、「自分だったらどう対処する?」と考える力の大切さを痛感している。
タイトルにもあるように、あなたが主人公として考えていこう!
- 3.本著を読んで私がやりたいこと
アメリカ型の読書感想文をやってみたく、早速ブログを立ち上げ、本記事を書いた。
そして、ビジネス書に限らず、小説でもゲームでも雑誌でも、あらゆる物から「この本を読んで私はどんなアクションを起こしたいか」や「この登場人物の気持ちはこうかも」、「自分はどうこの問題と向き合おう?」などをこのブログに残していきたい!
冒頭に書いたように、読んで気付かされる大切なことやその活かし方を忘れてしまわぬよう、ここに綴ろう。
今まで私はかれこれ100冊近く様々な本を読んできたのに、結構記憶が飛んで勿体ない読み方をしたと反省しているが、今からでも遅くない。読んだ経験をこれから一つ一つ大切にしよう。
そう、ただインプットするだけの日々と決別するのだ。
そして、私のこのアウトプットを通じて、今日からでも変われる人が増えてくれたら幸いだ。
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- 作者:鳩山 玲人
- 発売日: 2017/07/29
- メディア: 単行本