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死にたい理由の正体【嫌われる勇気】

生きるのに疲れた。頑張れない。死んだら楽になれる。死のう。自殺しよう。

 

学校や職場でのいじめや、職場のパワハラ、就職転職活動の相次ぐお祈りに、嫉妬とコンプレックス、借金、裏切り…自殺した人からは直接聞くことは出来ないが、多くの人々は逃げられなくなって、自分の人生を閉ざすことを選ぶ。

 

私も死んだことはないが、将来の不安を理由に自殺することを検討したり、どん詰まりな絶望の淵にいた経験があるから気持ちがよく分かる。


心から愛する人を失い、キャリアアップの道も閉ざされ、コロナショックで株価が半分になり、何事も中途半端で努力したい目標も見つからず、頼れるものは何一つない。

 

もし、今が生存競争の激しい時代だったらとっくに私は死んでいたはずだし、もう…

 

しかし、死をイメージする中で私は一つ大切なことに気づくのだった。

 

苦しい原因って、承認欲求…?

 

珍しくハッと気づけた自分を天才だと思った。これの向き合い方さえ分かれば、生きる苦しみから抜け出せるかもと。

 

私は承認欲求の消し方を調べて『嫌われる勇気』(以下、本著)にたどり着いた。

 

今回は本著を読みながら、死にたい理由がどこから出てくるのかを見つけて、その上でどう生きようと思ったのかをアウトプットしていく。

 

※説明
承認欲求とは、「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という欲求であり、「尊敬・自尊の欲求」とも呼ばれる。
(Wikipediaより)


1.すべての悩みは「対人関係」である

死にたいと思う大半の理由を大まかに分ければ、「居場所がない」「味方がいない」「お金がない」「将来が閉ざされた」「誰にも評価されない」「これ以上生きていてもしょうがない」などだ。

 

実は、これらはほぼ社会や他人がいることで生まれる理由だ。

 

居場所は他人が集まる場所、味方も評価も他人ありき。お金がないは度合いにもよるが、貧しい国では貧困なのに、たくさん子どもを持つ家庭が多い。なら、貧乏そのものが理由ではなく、お金を通じて発生する対人関係の方に理由があるのだ。

 

「人からどう見られたいか」これが承認欲求である。これを満たしたいけど、満たされない。それが嫉妬心やコンプレックス、孤独感や復讐などに繋がっていく。

 

「馬鹿な。私のはそんな単純な話じゃない。」そう思うかもしれないが、イメージしてみて欲しい。

 

  • 「周りの皆んなができるのに、自分だけできない」
  • 「自分より苦労している人を見ると安心できる」
  • 「上司に目をつけられたくないので、イエスマンになってる」
  • 「人から嫌われたくない」
  • 「頑張ってるのに報われない」

 

これら何かはあなたにも経験があるはず。人は他人と比較して、社会や組織の中で自分の今いる位置を確認している。だが、強者や多数派で作られる社会で、少数派は驚くほど報われないし孤立する。だから、「社会に殺された」なんて言葉を聞くのだ。

 

対人関係としっかり折り合いをつけない限り、これら対人関係を理由に死にたくなって落ち込んだり、仮に成功してお金持ちになったり、有名人になれても苦難は終わらないのだから。


では、対人関係を一気に解消する方法は何か?


2.過去は意外と関係ない

本著から解消方法を紹介しよう。

 

過去を呪縛と見るか、人生を変えるきっかけと見るかー

 

「○○な経験があって、今私は××なんだ。」これは原因論といって、過去のトラウマや嫌な記憶のせいで、踏み出せない状況のことをいう。

 

しかし、本著では『目的論』といって、「私は××な状態でいたいから、○○な経験を都合よく思い出しているんだ。」という普通思いつかない考え方が登場する。

 

受け入れ難いと思うが、「○○があったから自殺したい。」は原因論であり、目的論なら「自分のピンチをアピールしたり、自分を守りたいから、自殺したいと思う」と心はそう発信しているのだ。

 

「馬鹿な」と思うかもしれないが、本当に自殺したかったら、既にこの世からいないはずだ。実際に自殺した人はこれ以上自分を傷つけたくないという目的で行動に起こしたと言っていい。

 

逆に生きている人が「自殺したい」と言うことによって、言い方は悪いが注目を集められるし、自身を丁重に扱ってくれるからその一時で安心できる。

 

しかし、これはある意味タバコで気を紛らわすのと似ていて、気をつけないといつまでも同じことをループしてしまう。

 

ここで大事なのは、原因だと思っていた過去を「そんなの関係ねぇ」と、自分から引き離すことができるということだ。過去のことを否定しなくていい。ただ、現在の状況と繋がってるように見えて、「意外と関係なかったかも」と気づくことがポイント。

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(©︎SUN MUSIC公式サイトより)

 

そして、「辛いことを気にしないで済む生活を送りたい」という『目的』に沿って、過去のトラウマを「トラウマ」ではなく、「ただの経験」ということにしてしまえば、ダメージは以前よりも弱くなるはずだ。

 

そう。捉え方一つでかなり変わる。

 

とりあえず、色々ツッコミたいこともあるだろうが、あくまで私個人が刺さった部分を書いているので、細かいところは本著を読んで、あなたにとっての答えを探してみて欲しい。

 

では次へ


3.コップのなかの嵐

学校の外には、もっと大きな世界が広がっています。そして、われわれは誰しも、その世界の一員です。もしも学校に居場所がないのなら、学校の「外部」に別の居場所を見つければいい。転校するのもいいし、退学したってかまわない。退学届一枚で縁が切れる共同体など、しょせんその程度のつながりでしかありません。
ひとたび世界の大きさを知ってしまえば、自分が学校に感じていた苦しみが、「コップのなかの嵐」であったことがわかるでしょう。コップの外に出てしまえば、吹き荒れていた嵐もそよ風に変わります。
(本著 P193 哲人の台詞より)

 

人は本能で『どこかに所属している』という実感を求めている。それは『居場所』ともよくいう。

 

そんな本能のために、いじめや就職転職活動での度重なる不採用、家庭内の不仲などを経験すると、自身の居場所がないように思えてくる。

 

特に、自分の知ってる世界が特定の環境に強く依存していれば、それに裏切られた時や失った時に、強いショックを覚えてしまう。

 

そしてショックを受けて苦しい時は、自身を縮こめて世界も狭くなってしまう。自身がコップのなかの嵐にいることに気づけなくなるのだ。

 

私の場合は、かつてお付き合いしたいた女性を幸せにしたいと転職活動を始めるものの、過去の職歴が心証を悪くして上手く行かず、その最中彼女から別れを告げられてしまう。さらには、コロナで株価が急落し、副業の株で(短期的に)稼ぐスタイルも通用しなくなり、何をやってもダメな世界にいたと思った。

 

そのコップのなかで私は、嵐どころか洪水が発生していたような苦しみだった。悩むに悩んだ。

 

結局、私はとある面接で「過去の失敗から学んだのは、やりがいは自分で作ることです。」と発言したことで、転職活動する自身自身への矛盾に気づいて活動を辞めた。そして、第5の選択肢ぐらいの生き方へ舵を切ることにした。

 

私は転職活動というコップのなかの嵐にいたことに気づき、自分が窮屈に感じない世界を探しに、コップのそとに出たということだ。

 

「逃げた」って?

 

別に戦うことだけが人生でもあるまい。

 

そのあと、どうするかが大切だ。


4.こっから先は他人の問題

自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。
(本著 P147 哲人の台詞より)

 

世間体や他者の目というコップのなかの嵐を抜けた後の話に移っていく。

 

引用の後半で出てきた『他者の課題』とは何か?『課題の分離』についてである。

 

簡単に言うと、自分はやるべきことはやった。後はそれをどう評価するかは他者が抱える問題であって、私の課題ではない。だから何と評価されようと、「そんなの関係ねぇ」ということだ。

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(©︎SUN MUSIC公式サイトより)

 

例えば、あなたが社内でとある仕事をチームワークを駆使して成功させたとしよう。ある人は「自分の限界をちゃんと分かって、皆んなを頼っている。」と評価すれば、一方では「あの人は一人じゃほぼできないことばかりだから、仕事を体良く押し付けた。」と言うだろう。

 

どんなことにもポジティブにもネガティヴにも捉えることができる。だから、あなたが人からよく思われようという動機で行動しても、何とでも言えてしまうのだ。

 

他者の思うことなどコントロールはできない。だったら、「私は私の思うベストなやり方でやった。それ以上は何言われても仕方ない。」と、自分の中で完結してしまえばいい。

 

先ほどの目的論でネガティヴなことを言う人の心理を考えれば、「私に難癖つけたいから、ネガティヴな側面を持ち出して批判したんだ。」と言えてしまう。


5.自分で自分を評価するには?

「もし承認欲求を否定して、人目気にせず理想の自分を目指すにしても、その確認方法として報酬やイイネの数など、結局人の評価が必要なんじゃないの?」

 

評価は結果につくのであって、努力自体にはついて来ないと知っているからだ。

 

私はその点が気になって、本著を読み進んで答えを見つけた。

 

その答えは


6.Answer 1「評価も未来も気にしない」

われわれの人生もまったく同じです。人生全体にうすらぼんやりとした光を当てているからこそ、過去や未来が見えてしまう。いや、見えるような気がしてしまう。しかし、もしも「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなるでしょう。
(本著 P271 哲人の台詞より)

 

本著では、過去のことも関係ないと言ったが、未来も気にするものではないと書いてある。

 

未来のことを考えて行動するのも原因論的な考えであり、「こうしたら、ああなる」に囚われる可能性を示している。

 

では、未来を気にしなくて済むにはどうすればいいのか?

 

例えば、ステージに立ったバレエダンサーは自分にスポットライトが当たると、その光が強いあまりに、前の観客は見えなくなってしまう。

 

人の目を気にすることなく生きるというのは、まさにバレエダンサーのようだ。

 

そう生きると、どうなるか?

 

「いま、ここ」という刹那を生きていく内に、「いつの間にか随分遠くまで来てしまったんだな」という状態になっている。そんな状態がベストだ。

 

評価をもらうことが自己評価ではない。少しずつ自分を良くしようと前進している感覚を持つことが大切であり、評価をもらってすごい人にならなくていいと思える勇気が、実はあなたの肩の荷を軽くしてくれるのだ。

 

だから、未来という余計なことを考えずに、自身の「いま、ここ」という瞬間を真っ直ぐに生きよう。

 


余談だが、未来を話すことが好きな職業として、保険屋と話した経験をついでに話そう。

 

当時、営業の職種に転職を考えていた頃、営業のうまい人のやり方を体感すべく、やり手の保険マンを紹介してもらって話を聞いた。

 

しかし、これは私を絶望の淵へ追い込むことに貢献した。

 

話の中で、「老後にどれだけの資金が必要か」「子供は出来るとしたら何人欲しいか」「奥さんとどんなデートがしたいのか」なんてことを答えている内に、帰宅した後、私は将来の希望が一切見えなくなってしまった。

 

「自分のような心が弱い人間が子供を作っても、もっと弱い子供にしてしまうだろうし、ましてやこんな男と結婚したい女性もいないだろう。


必要と思って老後のために保険は契約したけど、結局老後の資金問題は全部は解決しないんだよな」と、未来はないような心境だった。

 

「もう、転職すらも上手くいかない人間には、今の閑職で一生生きる。これが私が進路を失敗した罰なんだって。」

 

そう。完全に無気力になった。


別に保険屋は悪気があって未来の話をしているわけではないが、ナイーブな人間が将来のことを真面目に考えると、とことん闇に沈んでしまうんだなと思ったし、未来が怖く思えた。


この経験も本著の視点から言えば、目の前のことに集中出来てないから、過去を悔やんだり、起きやしない将来の不安に心を締め付けられてしまうのだ。

 

究極、死ぬまで働けば老後の心配なんていらない。

 

逆に働かなかったらボケるのも早くなるし、暇になるとネガティヴなことが浮かんでくる私にとっては、働いていたらいつの間にか死んでたぐらいが丁度いい。

 

むしろ、『老後』という概念が人を将来の不安に突き落として、心を壊してるのでは?

 

結局、私はその保険をクーリングオフして、いつまでも健康でいるための行動を取ることにした。


7.Answer 2「私の『目的』(この本を読んでどうしたいか)」

目標など、なくてもいいのです。「いま、ここ」を真剣に生きること、それ自体がダンスなのです。深刻になってはいけません。真剣であることと、深刻であることを取り違えないでください。
(本著 P274 哲人の台詞より)


立てる目標がない私に向けた最大のメッセージが上の言葉である。過去や未来のことを気にせず、思いつくさまざまなことを試してみようと思った。

 

私がやろうと思いつくこととは以下のことだ。

 

「文章、絵など思いつくさまざま表現で、皆んなが苦しむこととその理由を形にして、皆んなの肩の荷を軽くしよう。」

 

私は飽き性・気分屋な性格で、一つの職種が長く続かないことを分かっているので、仕事してキャリアアップを積んでいくサラリーマンや、職人のような生き方がそもそも向いてないと思うし、本気でそうなりたいと今は思っていない。

 

でも、職人がもてはやされるのが資本主義社会の市場なので、それが出来なくて苦しむ人たち(かつての私みたい)に何か一つでもいい。

生き方の選択肢やヒントが思いつき、誰にも見つけられないあなたの才能を、あなた自身の手で探し当てられるようになって欲しい。

そう願い、私も思いつく手段の創作活動を可能な限り試したい。

 

このブログもそんな『目的』のために、とりあえずやってみたことだ。

 

正直、文章も絵も素人なので、一から試行錯誤しないといけないのが辛いところで、やったからと言って確実に報われるものでもない。

 

だが、それでも構わない。皆んなが山頂を目指して山を登っているのなら、私は寄り道そのものを楽しみながら登山するタイプの人間なんだから。

 

ただ、『思いつく限りのことを、人の目や世間体を気にせずやってみる。』現在はそんな『今を集中する』生き方に夢中になっている。

 

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え